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根據聯合國data殘暴倭戰犯二戦 在亞洲屠殺5千萬無辜貧民、 僅中國就有四千萬。 看看日本怎麼記錄南京大屠殺的: 南京攻略軍総司令官・松井石根大将、東京裁判で死刑になる直前のコメント 「南京事件はお恥ずかしい限りです、私は皆を集めて軍総司令官として泣いて怒った。せっかく皇威を輝かしたのに、あの兵の暴行によって一挙にしてそれを落としてしまった」 軍司令官、師団長として戦った澄田中将の回想 「日本軍は事変の出だしから隠れもないあの南京虐殺事件は論外としても、残念ながら略奪、放火、殺人、強姦など、あらゆる悪行のし放題と言ってよい」 陸軍省人事局長・阿南少将(のち大将、陸軍大臣)南京視察メモ 「軍紀風紀の現状は皇軍の一大汚点なり。強姦、略奪絶えず」「「婦人方面、殺人、不軍紀行為は国民的道義心の廃退、戦況悲惨より来るものにして言語に絶するものあり」 第11軍司令官・岡村寧次中将(のち大将) 「派遣軍第一線は給養困難を名として俘虜の多くはこれを殺すの悪弊あり。南京攻略時において約四、五万に上がる大殺戮、市民に対する掠奪強姦多数ありしことは事実なるが如し」 南京大虐殺の中心人物・中島今朝吾第十六師団長の従軍日誌 「佐々木部隊だけにて処理せしもの約一万五千、太平門に於ける守備の一中隊長が処理せしもの約一三〇〇」「大体捕虜はせぬ方針なれば片端よりこれを片付ける事となし(軍事知識があれば「処理」「片付ける」は捕虜の虐殺だと分かる) 第十軍国崎支隊歩兵第十四連隊の宮下光盛一等兵の従軍日記(杭州湾上陸時) 「我が柳川兵団は①民家を発見したら全部焼却する事。②老若男女を問わずシナ人を見たら殺せ、という命令を受けた」 山田支隊山砲兵第19連隊第3大隊黒須忠信上等兵の陣中日記 「二、三日前捕虜せし支那兵の一部五千名を揚子江の沿岸に連れ出して機関銃をもって射殺す。その後銃剣にて思う存分突き刺す。ウーン、ウーンとうめく支那兵の声、年寄りも子供もいる。一人残らず殺す。刀を借りて首も切ってみた」 第十軍嘱託カメラマン河野公輝の話。 「銃剣で刺すなんて生易しいものではなく、棍棒でぶっ殺す。バクッと叩くと血がぶあーっと噴き出してね。蘇州の女というのがまたきれいでね。兵隊は手当たり次第に強姦して、やったあとは殺していたな」「川沿いに女たちが首だけ出して隠れているのを引き揚げてはぶっ殺し、陰部に竹を突きさしたりした。杭州湾から道端に延々とそういう死体がころがっていた」 都城第23連隊兵士の日記 「今日もまた罪もないニーヤ(中国人の蔑称)を突き倒したり打ったりして半殺しにしたのを壕の中に入れて頭から火をつけてなぶり殺しにする。退屈まぎれに皆おもしろがってやるのだが、まるで犬や猫を殺すくらいのものだ」 同盟通信社・新井正義記者 「校舎の一角に収容してある捕虜を校庭に引き出し、下士官がそれを前方の防空壕の方へ走らせる。待ち構えた兵隊が銃剣で背後から突く。悲鳴をあげて壕に転げ落ちると、更に上からとどめをさす。それを三ヶ所で平行してやっていた。壕の中には鮮血でまみれた死体が重なっていく。交代で突き刺す側の兵隊も蒼白な顔をしている」 昭和天皇の弟・三笠宮(陸軍士官学校出身)の自伝 「一九四三年一月、私は支那派遣軍参謀に補せられ南京の総司令部に赴任、一年間在勤しましたが、その間に私は日本軍の残虐行為を知らされました。ここではごくわずかしか例をあげられませんが、それは氷山の一角に過ぎないものとお考え下さい」 |
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